炎上マーケティングといわれ、一時はamazonからも在庫がなくなる程盛況だったという本書。
本を紹介しているだけなのに、その本を読まずにコメントするやつは、確かに馬鹿だと思う。それは正しい。
とりあえず、読んだのは数週間前だが、今更ながらに簡単に感想を。
梅田望夫が、”日本語を愛する水村美苗の「心の叫び」”と評する著者の心意気は確かに伝わってくる。
思春期をアメリカで過しつつも、英語を拒絶し日本文学をよりどころに育つという著者の特殊な生い立ちが、より強く日本語に対する危機意識を持たせるのかもしれない。
とはいえ、梅田望夫に”すべての日本人が読むべき本”、Dan Kogaiに”今世紀においてこれまで書かれた中で、最重要の一冊”と言わせるほどのインパクトは一切感じなかった。
僕が読む限りこの本の論法は、英語が普遍的に使われる言語になりつつある→優秀な人間は日本語をおろそかにする→日本語が滅びる、ということだと思うが、日本語を滅びないようにする為の施策として強調される”近代日本文学を読ませる”という主張もチンプンカンプンだ。
著者が主張する日本の戦略亡き英語教育となにもかわらない。
近代日本語の成り立ちあたりの資料的価値は認めるが、行く宛の無いエッセイのような一章や自虐的すぎるフランスでスピーチのくだりなどは読んでで苦痛を覚える。
英語が普遍語となるパラダイムとしてインターネットをあげているのは同意できるが、例としてGoogle Book SearchというようなGoogleというサービスそれ自体に比べれば端にもかからないような例を挙げているのもセンスを疑う。
英語の優位性はネットにおいては、僕が初めてネットに触れた1990年代後半から既に存在していた。Googleが登場する以前ですらAltaVistaがあり、その先にはエロ動画だってWarezだってmp3だって転がっていた。ヤフーの先にあったものとは比べ物にならない。
今のビジネスだってそう、日本の企業で働いていても、普遍語は英語で、現地法人の社員も日本語を覚えようなんて雰囲気はさらさらない。
池田信夫のいう”日本語はすでに亡びている”という感覚が自分と非常に近い。
アメリカである一定の期間、しかも大学やベンチャービジネスの現場というあるシビアな環境の下で生きてきた人々にとっては琴線に触れる本なのかもしれない。
ただ、日本で凡庸に育ち、たまに海外に旅行して、今は仕事上で外人とのやりとりに四苦八苦なような日本人にとっては、普段自分が感じる”英語が使えない”という危機意識にくらべれば、”日本語が滅びる”という危機意識は遥か遠くにある。
ウェブ言論界のトップランナーには失礼な言い方だろうが、単に著者の感情のサイズにあてられているだけにしか思えかった。読む価値が無いとまでは言わないが、買って読む程の価値は無いというのが個人的な感想。ということで★★☆☆☆。
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日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で








