xyz Action ワークショップに参加して

2010.09.11 土

先週の週末、那須で行われた「xyz Action ー次世代から社会に新しい変化を生み出すー」ワークショップに参加してきました。
xyz Actionとはいったい何かはウェブサイトを見てもらうとして、ここでは備忘録的にとりとめなく感じたことを書き記していきたいと思います。

その時、その場所で感じたことをいち早く言語化したとワークショップ中も帰ってきてからもずっと考えていたのに、なかなかまとまらずに、一週間が経ってしまった。
言語化できなった理由は、想いを巡らせすぎて考えがまとまらなかったのももちろんだが、言葉にすると陳腐化しそうな感情がいくつもあったから。と言って悶々としていても風化していってしまうだけなのでここらで一旦吐き出してみることにしてみます。

個別のプログラムについては、手法も含めて後で纏めるとして、とりあえず総括として感じたことを何点か。

対話の重要性

二日間そこで行われたことは対話の繰り返しその一言に尽きる。『自分自身との対話』、自分自身の思考・体験を内省して自分自身を掘り下げていく時間、『他者との対話』、他人の経験、意見を問い能動的に他者を理解する時間。これらが織り交ざった『場との対話』。場を発散させるような問いと深化させるような問いが繰り返される中で、そこでの議論が凝縮されて行く(もちろん不発に終わることもある)という空間はとてもエキサイティングだった。そこにいる全員がある一定時間の訓練を受けて、同じ方向を向いていることによる議論の加速は信じられない位の速度だった。

発散と収束、オープンとクローズ

対話の中で常に自分が、そしてその場がどういうモードなのかを意識していた。相手に乗ってアイデアを広げる時間、広がりを収束させ結論としてアウトプットすること。オープンに忌憚なく意見出し合う時間、自身の中で内省する時間。もちろんこんなことは普段の会話、飲み会や会議なんかでも無意識にやっていることなんだろうけど、ある程度意識的にできたことが興味深かった。ただそのせいで場に乗り切れない自分がいたのも確か。

着想・洞察・具現化・解体の反復

いわゆるスクラップ&ビルド、近頃じゃイテレーションというキーワードだろうか?アイデアを元にプロトタイプを作って評価し、それが駄目なら壊して新しいアイデアに着手、または改良。これは最近、アジャイル開発プロセスやデザイン思考という考え方とともに広められているけれど、プロセスが存在するもの全てにおいて普遍的な原則なんじゃないかという確信に変わってきた。それをもっとも顕著に感じたのはNosignerさんのワークショップ。2時間という時間の中で、ゴミや自然の中から手に入るものを使って、自分で家に持ち帰りたくなる品質の製品を作るというのは、まさにこのプロセスを体感できるものだった。興味ある人には、Tom Wujec: Build a tower, build a teamというプレゼンテーションがおすすめ。

個人の熱量と場の熱量

いくつかのワークショップを繰り返す中で、熱を持った個人が摩擦し合い、場の熱量が一気に高まっていくという雰囲気を何度か感じた。その場の熱量は、必然的にそこにいる個々の熱量が高く、摩擦係数が高いほうが高くなる。ただし時には潤滑油も必要だ。専門家の一押しが解決を急速に後押ししたり、逆に専門外の人の視点がその場所に新しい気づきを生み出したりといったことを目の当たりにした。可能性は誰にでもある、一方日頃から鍛錬できている人の熱量は圧倒的。

雑感・反省

  • 捨てる物と拾う物を選ぶと事が、今自分に必要なことだと感じました。たしかにあれもこれもと手を出したいのは事実、ただしそろそろ選択肢を絞って投資しないといけない年齢。
  • いらないものはどんどん捨てよう。アジャイルであるためにも身軽さは重要。
  • 流れにのるための準備ができていない、基礎体力不足。
  • 普段は使わない脳の区画を駆動させていたせいか、レセプターが足りずに食欲が全く出なかった。
  • フロー状態のすごさを体感した、脳内麻薬をコントロールできないかとか言い出すとちょっと危ない。
  • アウトプットを意識していないインプットはあまり意味が無い
  • その場の流れに取り残されたとき、どうすればいいか?蜂のように飛びまわると蝶のように羽を休める?
  • 傍観者から一歩踏み出す勇気がムーブメントを作る。Derek Sivers: How to start a movement
  • 客観性と主観性は常にカードの表と裏。どちらが必要かは時々によって違う
  • 最後は放心状態でした。

参加者の方々の反応

みなさんの秀逸なエントリーが上がっています。スクリーンの前であの場所の熱を感じるのは難しいかもしれませんが、その一端はうかがい知ることができると思います。漏れてたらすいません。

そういえば、先々週もマジックアワーを逗子で体験してきたんだったと。

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カーゴ・カルトとパターン

2010.08.28 土

JohnFrumCrossTanna1967

かつて積荷が運ばれて来たときの状況(太平洋戦争時のアメリカ軍の装備や振る舞いなど)を再現して、滑走路もどき、空港もどき、事務所もどきなどの模倣施設を作り、ココナッツと藁で作ったラジオもどきなどの模倣品を作り、さらには島民自身が軍人、船乗り、航空兵の行動を模倣した。またライフルに見立てた小枝を持ち、階級章の絵や「USA」という文字列などをボディペインティングし、「訓練」や「行進」をこなした。木を削って「ヘッドホン」を作り、それを着けて「管制塔」に座り、「滑走路」に立ち「着陸信号」を振り、「滑走路」をたいまつで照らし狼煙を上げることもした。

Wikipedia『カーゴカルト』より引用

Wikipediaにもある通りカーゴ・カルト(積荷信仰)とは西洋文明の外観を模倣することで、自分たちの元にその恩恵がもたらせれると信じた、太平洋戦争中にオセアニアの群島部で興った呪物信仰の一種。簡単にいえば、本質を考えず表面だけを模倣すると言ったところ。

カーゴカルトはウェブの世界で氾濫している。例えば、Yahoo Japan!のトップページとgooのトップページを比べればその相似は明らかだし、最近mixiに導入されたボイスやイイネ!などを見ても世界で信仰されているあれやこれを模倣したものに間違いない。本家本元のLikeには評価するという行為をコンテンツとしてしまうという以上に、新しい価値基準の仕組みづくりが見てとれるが、果たしてそういう背景も考慮されているのだろうか?

一方、パターンという言葉がある。源流は建築家だったクリストファー・アレグザンダーの「パターンランゲージ」と言う考え方でソフトウェアの世界で持ち込まれ、ウェブのインターフェイスの世界でも耳にするようになってきた。僕はざっくりと、複数の最小限のパターンを組み合わせることで、どのような作り手であっても高い品質を維持するという考えかた、と捉えている。

サービスやコンテンツの模倣は、パターンでもカーゴカルトでもなく単なるパクリでしかないが(タイムマシーン経営のようにマーケットが違えば許容されるのかもしれない)、インターフェイスや機能などの創造性というよりは汎用性が求められる領域に関しては、模倣も標準化の一部として容認されている、というか積極的に推進されている側面もある。もちろん自身のサービス、そのターゲットへの洞察があることが前提になるだろうが。

結局のところ何が言いたかったのか解らなくなってきたが、要は自分たちサイトの設計者への戒めというところだろうか。プラクティスからパターンへ、パターンからプリンシパルにという言葉を思い出して、そんなことを考えてみた。

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ソーシャルグラフ(Social Graph)にまつわるアレコレ

2010.08.19 木

Some rights reserved by Rafiq Phillips

今に至ってソーシャルグラフ(Social Graph)という感覚を得ないわけではないが、以前にUXBC TokyoのDesigning Social Interfaceの読書会に参加した際に感じた『デザインしようとする対象への理解を深める』という目的のもと、簡単にまとめてみたい。

まず前置きとして、ソーシャルグラフ(Social Graph)の言葉の成り立ちから調べてみた。ソーシャルグラフ(Social Graph)に関する文献としては、Brad FitzpatrickのThoughts on the Social Graphというマニフェストが圧倒的に有名なので、てっきり彼の言葉だと思っていたが、どうやらwikipediaに寄れば、Facebookの創立者であるMark Zuckerbergの造語であるとのこと。

その意味は文字通り『ソーシャルネットワークにおける関連性をグラフ化』したもの。Thoughts on the Social Graphの言葉を借りて、もう少し具体的に説明すると、そのグラフは、ノード(接点)とエッジ(枝)で構成されており、ノードはネットワーク上の個人、エッジは個人間のつながりを示している。

ここで幾つか思考するための材料をThoughts on the Social Graphから抜き出してみよう。

ソーシャルグラフに含むものと含まないもの

ただし個人間の関連性のみに限定するというのはあくまで純粋な意味においてであり、広義にはエッジの論理関係(家族とか友人とか恋人とか)やノードのメタ情報(年齢とか出身地とか所属組織とか)を含むというのが現時点での通念と言えそう。ただしメタ情報という一言にいっても、個人が入力したプロフィールから読み取れる明示的な情報からログイン履歴やアクセスログなどの暗黙的な情報までほぼ無限に存在することを考えれば、どこまでをグラフに含むかは、用途によって 妥当に判断されるべきといえよう。
Brad Fitzpatrickが言うような非営利の標準化団体のようなものができれば、ダブリンコアのような規格も提唱されるかもしれない。(非現実だと思うけど)

誰がどのように管理すべきか?

Brad Fitzpatrickは、ソーシャルグラフ(Social Graph)は一企業によって中央集権的に管理されるべきではないと述べているがそれには賛成できる。もちろん、ネットワークの人間関係は、あくまでユーザーが築き上げた資産だが、サービスの主体であるネットワークが関係構築を促進したという側面もある、日記や写真のようにユーザーの著作物と言い切るのは難しい。
今のところFacebookにもTwitterにもソーシャルグラフを独占的に利用しようという動きは見られない。むしろFacebookのOpen Graph構想や各サービスで積極的に相互利用されるなど、現状を見る限り、Brad Fitzpatrickの懸念とは逆方向に時代は進んでいるように見える。

ユーザーにとっては?

サービスプロバイダーが描くようなソーシャルグラフを共有するという思想がユーザーに理解されているか?と言えばそうでもないだろう。相手のレスポンスを気にかけることなく一方的にフォローできるTwitterとお互いの同意が必要なFacebookではエッジの強度が全く異なる。サービス間での使い分けは、それぞれのサービスでの一人当たりの接続ノード数を見れば明らかだろう。これらを考慮せずソーシャルグラフの相互乗り入れを提供しても、相乗効果があるとは思えない。(少なくとも、ノード間の距離が近いFacebookにはあまりメリットがないのでは?)

実際、どう使っている?

いずれかのソーシャルネットワークを使っているユーザーなら、そのサービスのどこかの場所でTwitterやOpen IDのログインフィールドを見かけることがあるだろう。恐らく一度くらいは気軽にログインしてみたことがあるはず(少なくとも自分はあるが)、自分の場合は、その時の体験はあまりポジティヴなものとは言えない、自分のフォロワーが一覧で表示されコンタクを促され、最悪のケースは勝手にTwitterにポストまでされた。
自分自身では利用したことがなくても、Twitterの認証を利用したスパムを受けとった経験はきっとあるに違いない、現実の世界ではしっかりもののあの人までも(誰?)が簡単にフィッシングに引っ掛かってしまうところを見ると、ユーザーがあまりに無防備なのは容易に推測できる。

長くなってきたので、次回に続く。。

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初めてのAndroid。X06HT/Desire

2010.07.02 金

巷ではiphone4とiOS 4.0の話題でもちきりですが、そこはあえて日陰の道をいくということでHTCのDesire、日本ではX06HT、に機種変更してきました。今まで使っていたのがX02NKとiphone 3Gだったので、その差は歴然、高速なCPUと十分なメモリ、高解像度で綺麗なディスプレイ、マルチタスクと快適さはその比ではありません。NIKONのD70からD90に換えた時のようにテクノロジーの進化を身を持って体感。

受け取って約1週間ということで最低限のアプリだけインストールして使ってますが、ちょっとここからいろいろと触っていきたいところですが、ちょっと簡単に思うところを。

ディスプレイ

800×480の有機EL採用ということで、高コントラストで明瞭、発色は美しく、文字やアイコンも高精細で言うこと無し。高解像であることのメリットは、画面を広く使えるということと高精細ってことなんだと思うけど、所詮3.5インチのディスプレイだと、ブラウズするには、高解像度でも可読性が低く(実際読めない)それほど利点には感じない。つまりこの位のサイズの端末だと、この位の解像度が上限ってことなんだと思う。ちなみに今日のEngadgetに直射日光下での端末比較の記事がありましたが、直射日光下では視認性はいまいちとのこと。

CPU/メモリ

言うこと無しです。現時点では、最高速?な1 GHzのSnapdragon、576MBのRAMと一時代前のPCのようなスペックだけあってすべての動作がサクサクです。phone 3Gでもっさりなフリック入力もきびきび動く。アプリも何本も常駐させても、重いという状態になってことがないので、マルチタスクもかなり実用的。

ボタン類

iphoneと違いホーム、メニュー、カーソル、戻る、サーチといったハードウェアボタンが装備されているんだけど、すでに違和感なく使える。それぞれにクリック・プレスの計8パターンがある?(プレスできなボタンもあるかも)というのは、iphoneの作法と比べるとはだいぶ複雑化してるけど、1週間もすれば学習できる。特にBackボタンの使用頻度高し。

マルチタスク

Twitterしながら気になるリンクがあればクリックしてブラウザに、そんでTwitterに戻る。スピーチのムービー見つつ、TranscriptをPDFリーダーで見る。これは一度体験すると元にはもどれない。とはいえ、Twitter からの外部リンクをブラウザ側ですべて同じウィンドウで処理してしまうといった微妙な挙動もあり。
あと別途タスクマネージャー入れないと、タスクがバックグラウンドに常駐するといった仕様も若干気持ち悪い。

カメラ

操作感は全くイケテない。AFの操作音をわざわざソフトウェア的に鳴らすとか気色悪すぎ。盗撮に配慮した自主規制なんでしょうか?

ま、とりあえずこんなところ。今のところ、おそらく世の中の80%のユーザーはiphoneで満足なはず、そのクローズドな世界に嫌気が刺した20%の人々のための携帯といったイメージ。

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